みかべぶろぐ

2020年2月生まれの双子を育てています

わたしと双子の37週間

めちゃくちゃ久しぶりの更新になってしまいました。

更新しない間に世界は一変し、世界より少し前にわたしにも大きな変化がありました。

 

2019年の7月に妊娠が判明。

検査薬に陽性の線が入ったとき、おそらく人生で一番泣きました。出産時より泣きました。

気づいたのは妊娠5週目ごろでした。直後に予定していた旅行と生理がかぶるのが嫌で、来るなら早よと思っていたところでした。その時点で予定日から1週間遅れでした。

生理が来る様子がないのに、生理前の兆候(普段は胸のハリ・痛み、生理痛に近い下腹部痛が1週間続く)だけはある状態が2週間続いていたので、スマホでいろいろ調べていて、妊娠を疑いました。1週間の遅れなら、妊娠を疑うには早かったと思います。とにかく旅行になんの心配もなく行きたい一心でした。

検査薬で陽性が出ました。それまで何度か使ってその都度地獄の底へ突き落されてきたアレに線が入っていました。たぶん人生で一番泣きました。

次の懸念はとにかく旅行でした。その日の夜までならホテルが無料キャンセルできたからです。

土曜でも空いてるクリニックを探して、子宮内妊娠を確認して、また泣きました。

結論、旅行は行きました。上海2泊3日。みっちり2日間ディズニーランド大満喫。

さすがに一番乗りたかった絶叫アトラクションは諦めました。みかべが乗れないのに…と遠慮する夫に乗らせておいて、あとからグチグチ言ってしまいました。

世界はこんなことになっちゃったし、今後双子連れて海外旅行なんて実現できるかあやしいので、行ってよかったと思っております。結果論ですけど。

上海旅行の自慢もいつか書きたいと思っていますが果たして。

 

「次は8週目あたりで、分娩予定のクリニックへ行きなさい」との指示を受け、実家近くのクリニックの予約を入れました。

そこで知らされました。お腹の中に二人いることを。5週目では早すぎて、小さすぎて確認ができなかったのでした。

そして追い打ちをかけるように、「うちで双子は産めません」。

双子以上の多胎分娩は新生児集中資料室(NICU)がある病院でないとだめだと、その時知りました。

結局、実家近くのクリニックはそこで卒業して、途中までは名古屋の大学病院に通い、出産が近づいたら地元の総合病院に移ることになりました。

 

つわりはほとんどありませんでした。ただ一つ、8月中に6回食べるほどカレーライス/カレーうどんを所望した程度です。

あの夏、実は夫が転職していました。上海に行けたのも有休消化中だったからです。そして8月の1か月間は新しい会社の研修で関東で単身赴任をしていました。妊娠判明から1か月で人生初の一人暮らしでした。カレーうどんに走りがちだったのも、一人の食事を自分で作ることが億劫だったのもあると思います。

SKE48が来場すると知って早めに招待券で確保していた川崎戦は諦めました。真夏の豊田に夫なしで行くのは無謀過ぎました。チームは大勝しました。

 

7か月に突入した11月ごろ、それまで勤めていたパートを辞めました。

辞めた3日後、推しを一目見ようと名古屋モーターショーにいました。

早産を恐れて早めに仕事を辞めたのに推し事となると別です。

ラッキーが重なって、手を伸ばせば触れる距離まで推しが来たときは泣きそうになりました。大満喫の一日でした。

 

9か月になる2020年1月、里帰り出産のため早めに実家に戻りました。

実家で上げ膳据え膳いただいていたら、1週間で3キロ増えました。

同時に、子宮頚管が短くなっていることと、以前より懸念されていた双子の発育注視のために入院が言い渡されました。

幸いなことに、わたしは出産するまで血圧は正常値だったし、貧血の症状もなく、一度も点滴や鉄剤のお世話になりませんでした。

自覚症状は何もないけど双子の自重で下がってくる懸念があるから検査以外ほぼ出歩けない、そんな健康妊婦にできることは一日中ツイッターに張り付くことと各種動画配信サービスを見まくることだけでした。

出産の朝、これから緊急帝王切開になるとも知らずにディズニー映画『ダンボ』を観て冒頭から泣きました。終始ダンボのママ目線で観てました。

 

双子の母はその重さで上を向いて寝られないとよく聞きますが、むしろわたしは横向きになると片側に寄る感じが苦手で、真上を向いているほうが適度に分散されるような感覚がありよく寝られました。

健康妊婦だったわたしが一番堪えがたかったことが、「ばね指」でした。

名古屋にいるときから自覚症状はあったので、8か月ごろには発症していた気がします。指を曲げると曲がったまま戻らないような、しびれるような、とにかく不快なものでした。下手に薬を飲むのもよくないと、ひたすら我慢でした。出産後、胸をつまんで母乳を出す搾乳において最大の障害になりました。あまり覚えてないですが生後2か月ぐらいまではしびれていた気がします。

 

わたしの予定帝王切開は2020年2月25日(火)と決まっていました、すでに決められていました。

37週を超えると正期産といっていつでも生まれて大丈夫だけど、胎児のためには38週まで待てるなら待ちたいみたいなことを言われた気がします。その日になったのは最終的には執刀医のスケジュールでした。

執刀医のスケジュール都合で誕生日決められちゃうんだ…とは思ったものの、特に文句はなかったです。

が、お腹の中の彼らはおそらくその日で納得がいってなかったのでしょう。

2020年2月15日(土)、彼らが選んだその日、夫がお見舞いに来ていました。たくさん話してそろそろ帰るかという雰囲気が出たころ、わたしはトイレに立ちました。

普通に用を足し、自分のスペースへ戻りベッドに上ろうとしたとき、残尿が下着について濡れる感覚がありました。恥ずかしながら、お腹が大きくなるにつれ尿漏れはそんなに驚くことではなくなってました。

拭き残したかな…と思い、夫に何も告げずにトイレに戻りました。

もう一度スウェットと下着を下ろすと下着はピンク色の液体がついて、よく見たらスウェットも濡れてるしなんならトイレの床も濡れていることに気づきました。

人生で一番のパニックでした。たトイレ内のナースコールで人を呼び、そこからはあれよあれよでした。

こうしてわたしは陣痛も経腟の苦しみも知らぬまま、ふわふわパニック状態のまま緊急帝王切開へとなだれ込んでいったのでした。

点滴、血圧計?ほかにも何か?をつけられて両手の自由はなく、肋骨から下は全部パッカーン。申し訳程度に手術着の袖だけ通ってるけど胸もパッカーン(だったような気がする…曖昧)。

ダヴィンチの人体図みたいな状態で手術は始まりました。

保冷剤をあてられて、「これ冷たい?」と聞いてくるので真面目に答えていたら、「はーい、もう切ってるからね」って返されたときはちょっと笑いました。

 

オペ室に入ってから20分ぐらい経ったあたりで、彼らは生まれました。

胎脂(たいし)でアブラっぽい長男を見て触って号泣したけど、ほんとは眼鏡をしてなかったからよく見えませんでした。

次男は低体重で即保育器だったので触れなかったしよく見えませんでした。

二人ともあっという間に処置?で連れていかれたのですることもなくなってしまい、お腹を縫われている間は寝ていました。誰に話してもあり得ないと顔をしかめられます。

 

37週と0日。38週2日に生まれてくる予定だった双子は、きっちりと正期産突入のその日に生まれてきました。「お!父親が見舞いに来てるやんけ!え?もう帰るの?じゃあ今から出るわ!」てな感じだったのかなと勝手に思っています。

 

こんなに幸せいっぱいでも夕飯直前の破水で空腹地獄、傷の激痛地獄、翌日から血栓防止で歩け地獄、ホルモン乱高下地獄、産科を追い出されて鬱地獄など、オペ3時間後から地獄は始まるわけですが、その話は書けたら書きます。

 

これが、愛しい愛しいわたしと双子の37週間。